提案のコンセプト

 

 

奈良盆地南部の「飛鳥・藤原」で、6世紀末から8世紀初めにかけて、律令制による統治機構を整えた統一国家「日本国」は誕生しました。

この時代は、中国(隋・唐)王朝の統一と支配圏拡大の脅威をうけて、東アジアの周辺諸国(例えば朝鮮半島の高句麗、百済、新羅など)は緊迫した情勢におかれていました。周辺諸国では、自国の存亡をかけ、中央集権国家を目指し、中国の最新文化を摂取しようとしていました。その結果、中国王朝を中心とした東アジア文化圏が形成され、朝鮮半島も含めさまざまな交流が行われていました。その状況の下で、日本列島では古墳時代までの伝統的な文化と東アジアからの先進文化を融合・発展させて、国家の基礎を作り上げました。

「飛鳥・藤原」の資産は、宮殿・都城をはじめ、祭祀空間・庭園・仏教寺院・墳墓など地下に残された考古学的な遺跡で構成されており、「飛鳥・藤原」という限定された地域に面的に密集しています。これらの遺跡に対する考古学的な調査と研究は、国家成立の過程を証明してきました。

このように「飛鳥・藤原」は、地下に良好に残された遺跡の中に、現在にいたるまでおよそ1300年余り続く「日本国」誕生の記憶が刻まれています。東アジアとの交流と、その影響による国家形成の過程が考古遺跡の変遷により証明できる他に例のない文化遺産です。